他人の死と自分の死

健康美容

50代の友人Aが肺がんで亡くなりました。

肺がん発見時すでにステージIV(最上位ステージ)で、10ヶ月の闘病の末亡くなりました。

何度かお見舞いにも行き、最後のお見舞いから3ヶ月後の葬儀で再開した友人Aはとても50代には見えず、後半の闘病生活はとても体に負担のかかるものだったのだと痛感しました。

 

 

葬儀では「生き返って欲しい」と願うことが多いですが友人Aを見るととてもそうは思えませんでした。

  • お疲れさま
  • がんばったねぇ
  • 向こうで安らかに過ごしてね
  • そのうちみんな行くからね

そんな思いばかりでした。

 

 

 

友人Aの肺がんが発覚した頃、共通の友人Bがポツリと私に言いました。

先生
友人B

俺はいつ死んでもいいくらいに毎日生きてるけどな。

そんな友人Bにも先日肺がんが見つかりました。

すでにステージIVでした。

 

 

 

 

友人Bは生きようとあがいています。

 

 

 

 

AもBも大切な友人です。

特に友人Bの年齢では『健康に長生きする』のは難しいですが、後10年20年は共に過ごすのだと思っていました。

がんばれB

 

 

 

 

私自身はセミリタイアし、自分のために使える時間がとても増えました。

「いつ死んでも悔いはない」

そう思える生活を日々送れていますが、いざ実際に余命宣告を受けると足掻くのでしょう。

 

 

 

 

我が家では夫婦共に医療保険はかけていません。資産額はほどほどには多いので保険適用外の自費治療も選べます。

ですがきっと保険適用の標準治療しか選ばない気がします。

日本人の50%ががんになります。

 

 

 

「保険適用外の先進医療も受けたい!」と願うならばどうぞ医療保険に加入しておいてください。

『治療費が払えないので治療を諦める』のは闘病中の身にはこたえます。

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